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投稿者
名無しさん
投稿内容
夕張。
夕張に行くには追分で乗り換えると単純に
行けましたが、廃線になった夕張鉄道の跡地
を見ておきたかったので、北広島駅の外れ
からバスで夕張入りする事にしました。
道路地図で見ると江別から栗山にかけて
碁盤の目状の道を斜め横断する不思議な道
があります。それが夕鉄の跡地の一部区間。
バスはそのコースを辿り、札幌~夕張間の
最短コースでもあります。
栗山から先は継立駅前、新二岐駅前という
バス停があり、旧駅舎も残っていました。
そこからは峠道になり、旧夕鉄はこの峠を
スイッチバックで越えていて、錦沢信号所
がありました。今はサイクリングロードと
して残されています。バスは峠のトンネルを
過ぎると、一気に住宅街が広がる。二車線の
道端に商店街と、山肌に沿って建ち並ぶ
ハーモニカ長屋と呼ばれる炭住街、炭鉱町に
来たと実感する。最初に若菜バスターミナル
に停車、夕鉄の若菜駅跡です。ここでバスを
乗り換え、清水沢駅に移動。大夕張鉄道の
起点駅です。何せ1日3本しかないので、
ダイヤに合わせての移動です。清水沢駅前も
ちょっとした商店街と、高校生の通学利用も
あります。夕張は谷あいの町なので、駅毎に
町が分散しています。15時台の第二列車は
買い物帰りや高校生の下校利用が主で、この
日は日曜で少な目でした。三菱のロゴ入りの
ディーゼル機関車に3両の旧客車の運行で、
前一両は石炭ストーブ付き。冬場なので当然
みんな一両目に集まっていた。清水沢駅を
出ると、大きく左にカーブして国鉄夕張線と
別れる。でもスピードはそのままゆっくりと
したまま進行。右側に夕張川が見え、上流
なのに沼のように広く、穏やかな川でした。
対岸に5階建ての団地が2棟だけポツンと
立ち、多分炭住だと思うが、廃墟のようにも
見えて不気味だった。7分程で次の遠幌駅に
到着。ここも炭住街で以前はもっと栄えて
いたとききました。列車は時速40~50㎞/h
位のスピードに感じたまま終点南大夕張駅に
到着。引き込み線や車庫が並び、「三菱石炭
鉱業鉄道」と書かれ、駅前のG・Sは三菱石油
で、大夕張(地元では南部)地区は三菱の
城下町である。炭鉱町は財閥資本が多く、
夕張でも三菱資本に炭鉱と三井系の北炭関係
の町があり、同じ市内でありながら、町に
よって住人の暮らしぶりにも多少なり社風に
似た影響が現れていました。なぜかと言うと
地元室蘭も鉄工業で栄え、旧・新日鐵と
日本製鋼所、旧・日本石油などの企業城下町
だったので、社宅の町毎にライバル関係の
ような地元民しか分からない雰囲気が子供心
ながら感じてました。
話が逸れましたが、大夕張鉄道はさらに10㎞
程先の大夕張炭山駅までが本来の路線でした。
途中の複数の炭住街にも駅があり、それだけ
栄えていたが、大夕張炭山が閉山になり、
鉄道も末端が廃止、更に元の炭住街は夕張川
上流のシューパロ湖のダム拡張で、湖低に
沈んでしまいました。
大夕張駅の窓口で清水沢駅までの切符を買う
時に、駅員さんに「どっから来たの?」と
訊かれた際に、鉄ちゃんと見抜かれ、不要な
切符やら、小物など頂き有り難かった。
乗車券は廃線区間の駅名が印字されたままの
パンチ式入鋏の細長い古風な硬券でした。
17時台の最終に乗り、清水沢駅に向かう。
ここからは札幌に遊びと買い物を予定して
いたので、丁度やって来た夕鉄バスに乗車。
札幌へは他に地元の大夕張からの美鉄バス、
それに中央バスの3社も運行していました。
当時は札幌大通公園まで直通していたが、
今は手前の新札幌駅止まりに変わりました。
夕張は何故か郷愁が残り、上京後も2度
訪れています。その度に町がどんどん変わり、
新しさと寂しさが混沌として、複雑な気分に
なるが、でもまた行きたくなる不思議な町
でもあります。

長崎の軍艦島は、同じ炭鉱で賑わっても
違った哀愁を感じるので、風化が進行しない
うちに一度見ておきたいところでもあります。
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