<

ハッテン相談室

ハッテンに関する質問、悩み相談はここで。


投稿を削除する

以下の投稿を削除します。パスワードを入力して[削除する]をクリックしてください。

投稿者
柔道ひろ
投稿内容
高校の先生を目指すリキ君へ
優しく庇ってくれたY先生を、いつまでも忘れられないように、生徒も良くしてくれた先生のことは生涯忘れられないと思うな。
これは大昔の徳永先生という人の手記だが、参考になると思うので読んでみて。
リキ君は性格的に、優しい先生になりそうな気がする。

これは戦前の話ですが、
「明日は工作で切り出しナイフを使うから、持っておいで」
と言って、児童たちを帰したら、次の日の朝、
「先生、昨日買ったばかりのナイフが無くなりました」
という子が現れました。
先生は、どの子が盗ったか分かるんですね。
この生徒は、兄さんがすばらしく頭がよく、
いつも家で比較されて、偏愛の中で冷たく育っておりました。
学用品を買うのにも
「馬鹿タレ、勉強もできんものが、何を金が必要か」
と叱られるのです。
「あの子ではなかろうか」と暗然とした徳永先生は考えて、
一つの方法をとりました。
昼休みの時間、中には運動場に出ない生徒もいますが、
この日は、全員を運動場に出して遊ばせました。
それで、全員外に出して遊ばせているうちに、
盗ったと思われる子供の机を見たら、
やっぱり、持ち主の名前を削り取って、
布に包んで入っていました。
先生は、すぐに学校の裏の文房具屋に走って、同じナイフを買い、
盗られた子の机の中に入れておきました。
子供たちが教室に帰ってきた時、
「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」
と言うと、
「先生、ありました」
と。
そして、
「むやみに人を疑うものじゃないぞ」
と言うんです。
その子は教室の一隅から、うるんだ眼で先生を見たといいます。
それから時代が流れ、戦時中です。
特攻隊が出陣する時、みんなお父さん、お母さんに書くのに、
たった一通、徳永先生への遺書があったのです。
それは、あの日、ナイフを盗った子からのものでした。
「先生、ありがとうございました。
 あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと
 思うようになりました。
 明日は、ポーランジャの空で僕は見事に戦死できると思います。
 その前にたった一言、先生にお礼を申し上げたい。
 あの時に、先生はなんにも言わないで僕を許してくださいました。
 死の寸前になってそのことを思い出し
 『先生ありがとうございました』とお礼を申し上げます。
 どうぞ先生、体を元気にして、
 僕のような子どもをよろしくお願いします」
というのが絶筆でした。
彼は昭和19年5月12日、
ニューギニアのポーランジャの空中戦で戦死しました。
若冠十九歳でした。
パスワード