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投稿者
ミラクル
投稿内容
リキ18君
子供の頃に読んだグリム童話等を読むと勧善懲悪ではない、善人が悲惨な結末を迎える物も結構あったりします。
坂口安吾が「文学のふるさと」という論評の中で、そうした指摘をしていたので、少し長いけどいんようしてみました。下のURLは坂口安吾の書斎で足の踏み場もないほど散らかっている。
猫も居場所がないので本の上に寝そべっています。
           記
シャルル・ペロオの童話に「赤頭巾あかずきん」という名高い話があります。既に御存じとは思いますが、荒筋を申上げますと、赤い頭巾をかぶっているので赤頭巾と呼ばれていた可愛かわいい少女が、いつものように森のお婆ばあさんを訪ねて行くと、狼おおかみがお婆さんに化けていて、赤頭巾をムシャムシャ食べてしまった、という話であります。まったく、ただ、それだけの話であります。
 童話というものには大概教訓、モラル、というものが有るものですが、この童話には、それが全く欠けております。それで、その意味から、アモラルであるということで、仏蘭西フランスでは甚だ有名な童話であり、そういう引例の場合に、屡々しばしば引合いに出されるので知られております。
 童話のみではありません。小説全体として見ても、いったい、モラルのない小説というのがあるでしょうか。小説家の立場としても、なにか、モラル、そういうものの意図がなくて、小説を書きつづける――そういうことが有り得ようとは、ちょっと、想像ができません。
 ところが、ここに、凡およそモラルというものが有って始めて成立つような童話の中に、全然モラルのない作品が存在する。しかも三百年もひきつづいてその生命を持ち、多くの子供や多くの大人の心の中に生きている――これは厳たる事実であります。
 シャルル・ペロオといえば「サンドリヨン」とか「青髯あおひげ」とか「眠りの森の少女」というような名高い童話を残していますが、私はまったくそれらの代表作と同様に、「赤頭巾」を愛読しました。
 否いな、むしろ、「サンドリヨン」とか「青髯」を童話の世界で愛したとすれば、私はなにか大人の寒々とした心で「赤頭巾」のむごたらしい美しさを感じ、それに打たれたようでした。
 愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐かれんな少女が、森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。
 私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然しかし、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。
 その余白の中にくりひろげられ、私の目に沁しみる風景は、可憐な少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、決して、不潔とか、不透明というものではありません。何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります。
https://pbs.twimg.com/media/CBuHUs2UgAAVgcR.jpg
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